『神を喜ぶ日』 05.06.12
コリント1 16:1〜9
日曜日は『神を喜ぶ日』であると3ッに分けて話します。
第一に、聖書が語っている事は、本当に起こった事です。
聖書を良く見るとパウロの手紙が一番早く書かれたもので
あることが分かります。
イエス様の復活と昇天、それに続く聖霊降臨は、パウロが
この手紙を書いた30〜40年位前の出来事であった事が
分かります。 この出来事に出会った人達が「今なお生き残って
います」と言うほど、ついこの間の出来事で昔話や神話でない
ことを確信しておいてください。
第二 日曜日の礼拝は、ペンテコステ以来、現代まで絶えず
守られて来たことです。これは1節〜2節を読むと分かります。
日曜日とは、どんな日なのでしょう。
先ほど歌った賛美歌54番2節「この日、光は闇に照りぬ。」
父なる神様です。「この日、我が主は甦りぬ」子なる神様です。
「この日 御霊は、世に降りぬ」聖霊なる神様です。クリスチヤンの
生活も週の始めの日、日曜日から始まるのです。
そこで教会は、ペンテコステ以来、日曜日を聖別して『神を喜ぶ
日』として守り続けて来たのです。
第三 聖霊なる神様のお働きを語ることになります。
ヨハネ福音書14章16〜17節までを読みましょう。
これはイエス様が昇天される前に弟子達にお約束された
御言葉です。
ここに神様の3つの存在姿が明らかにされました。
@旧約の時代には神様は隠れた存在で、預言者たちによって
語られる遠い存在でした。
A次の福音書の時代には、神様は人間の姿で御出でになり
ました。目、耳、手で確かめる事が出来る身近な神様です。
B現代です。イエス様は『私の代わりに真理の霊をあなた方に
送る。』とお約束になりました。そうです、聖霊は心の内に
お住まいになる神様です。真理の霊は、
@自分はどんな人間であるかを教えて下さいます。
Aイエス様の十字架の死は私たちの罪の贖いの死であることを
教えて下さいます。
Bイエス様の御復活は、私たちの復活の予告であると教えて
下さいます。
教会は、叛いても叛いても、尚、心の中に響いてくる十字架の
赦しの声に、神様の無限の愛と全能の力を信じないでいられ
なかったのです。
日曜日は聖霊なる神様の導きを受けて、ご自身の御子をさえ
私たちの救いのために与えてくださる『神を喜ぶ日』です。
心の底から喜びの賛美をささげましょう。